No.2
07年1月31日より2月9日までの10日間をバンコックとプーケットで過ごしました。
(写真はソニーのサイバーショットと富士のファインピックスにて撮ったものです。)
各ページの案内  No.1名古屋からバンコックへ  No.2 アユタヤ観光  No.3 バンコク市内ショッピング  No.4 プーケット(カタビーチ)への移動とホテル  No.5 プーケットの花とビーチ  シャロン寺院と旅の総括
二日目(アユタヤ観光)
朝食を済ませてから、ホテルのエントランスで待つことしばしで観光ガイドさんが迎えにきました。アユタヤ1日観光はネットのHISバンコク支店にて見つけ予約したものです。二人分の昼食つきガイドつきのツアーで、およそ12,000円ほどでした。ハイエースのミニバンで他のホテルから矢張り日本人が二人既に乗り込んでいました。簡単に紹介し合ってガイドと運転手合わせて6人のツアーでした。
アユタヤはバンコクに首都が移されるまでシャム王国の首都であり、長年にわたるビルマ(現ミャンマー)との戦乱の遺跡ともなっております。戦国時代にタイへ渡った山田長政の歴史もアユタヤと大きく関わっており、ビルマとの争いでは日本武士団を率いて戦果を上げた長政だったのですがその後の王位継承争いに巻き込まれて殺されてしまいました。折から江戸時代に移り変わって鎖国政策を取ったことで、タイやフィリッピン、インドネシアなどへ進出した日本人町も衰退してしまいましたが、アユタヤにも2千人規模の日本人町があったとされています。
ビルマとの戦乱で廃墟となってしまっているのですが、古いシャムの古都の仏教遺跡は印度の影響を受けた建造物が多く、スリランカ形式とカンボディアのクメール形式の寺院などで、日本や中国・韓国の仏教建築とは大きく異なっています。勿論現代のタイの仏教寺院の建築とも大きな違いがあります。仏教がそれぞれの国で土地柄にあった形に変化をしていったのだと言うことがよく判ります。
アユタヤ公園にある仏教建築や昨年のバンコクの市内観光で見た仏教寺院、また今回No.6にあるシャロン寺院などと見比べるとアユタヤ遺跡の仏教寺院が全く違うものであるのがよく判ると思います。
只、バンコク西部のチャオプラヤー川の対岸にあるワットアルン(暁の寺院)が石造りで少しアユタヤ風な形式を残しているのかも知れません。
アユタヤ公園の風景と 仏像  人物はマンダム本人
アユタヤ遺跡 スリランカ形式(ヒンズー系)とクメール形式(カンボディア=アンコールワット系)の寺院だということでした。丸みを帯びた尖塔を持つのがスリランカ形式角ばったものがクメール様式のようです。
ビルマ軍が戦争時に仏像の首を切り落として持ち帰ったと伝えられており、すべての石像の頭部がなくなっているのが印象的でした。
アユタヤ遺跡の仏像 ビルマ軍が持ち帰る途中落としたとされる頭の部分が木の根っこに嵌りこんだものと 再建された寝釈迦佛

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