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2018年06月の日記

古代史の謎
暇に飽かせて図書館の本を読んでいる。

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古代史に興味があるので、古代の日本と朝鮮半島を含む中国大陸との関わりに関する書物をよく読んでいる。
僅か1,500年ぐらい前のことがよくわかっていないというのも、文字文化が唐から伝わってきたのが、そのころ。それ以前のことは記録がないのです。

 大和民族と言われる日本人の起源について考察すると、もともとの石器時代から続いてきた縄文人は狩猟・採集民族だと思われ、弥生時代といわれる文明の勃興期には大陸から渡ってきた農耕民族によってもたらされたものと考えられる。
 天孫降臨伝説は福岡や宮崎にあり、佐賀の邪馬台国伝説、大分の卑弥呼女王国、九州北部の海上交通に活躍した安曇族(のち長野に進出)、越(コシ=北陸地方=越前・越中・越後)の国(北陸)に定着していた民族、岡山の吉備氏など日本各地に渡来人の王国があり、先住民族の縄文人を駆逐しながら、米作りを始めとする中国式の文化を取り入れて弥生文化が始まり、大和人を形成していったと思われます。
 又、中国側にも東方にある蓬莱国という長寿国へ、不老不死の薬を求めて3,000人の童子をつれて出港したという徐福伝説があり、鹿児島へ到着して王国を作ったという通説もある。

 当然言語も渡来人がもちこんだものであり、縄文人のことばは、アイヌや沖縄人の言語として引き継がれ、現代日本人のもとである、弥生人の言語は古代の朝鮮にあった高句麗(コマと呼ばれる)に最も近いと言われます。八咫烏神話や日本神道も高句麗に継がっていると言われます。

 特に7世紀に朝鮮半島が新羅によって統一され、百済・高句麗などや、朝鮮に有った中国や日本の支配地が滅んだことで大量の引揚者や亡命者が日本に逃げてきたと思われ、文字を始めとする文化と・学問(儒学)・仏教、製鉄、陶磁器、建築などの技術が持ち込まれて、平城京・平安京の時代へと発展していったと考えられる。ひらがな、カタカナなどもその後開発されて使われるようになったと思われ、乗馬の習慣も中国から伝来したと言われる。
 
又、氏・姓についても渡来民族によりもたらされた制度であり、それ以前には名だけで姓は無かったと言われます。姓の由来を調べるとそれぞれの出身地・先祖の国などが見えてくるかもしれません。
 
 遣唐使の派遣と留学生により学んだ、唐の文化は仏教や儒教思想以外にも、政治の制度や法律の整備など(大化の改新・大宝律令)膨大なものがあり、多くのものが現在の日本人へと引き継がれていきましたが、伝来元の中国や朝鮮半島では北方騎馬民族のモンゴル(元帝国)による征服によって滅んでしまったというのが皮肉です。

2018年06月22日(金)   No.527 (日記)

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2018年06月22日(金)
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