010 2005 ヒマラヤトレッキング旅行記 @ ヤッシー記
2005年10月12日(木) 自宅→新大阪→関空→ドンムアン空港→エアポートホテル(泊) 新幹線で新大阪へ行き、関空行きの特急に乗り換える。関空へ行くまでの料金は高いし、面倒だ。セントレアであれば運賃が安いのにと思う。 バンコク行TG(タイ国際航空)は満席だ。いかにもそれが目的と思われる男性グループも目立つが、以外に中年夫婦の団体旅行客も多い。若いカップルもいる。多分、トランジットでペナン方面のリゾートへ行くのだろう。 機内で、簡単なアンケートに答えて、その中からバンコク往復航空券が10名に当たる抽選があったが、残念ながらはずれ。期待したのに。 降機後、トランジットのTGカウンターで、翌日のカトマンズ行きの手続きを行なったのちに、出口へ。トラベル会社(ネパール関係専門のマヤ・トラベル)からは出口を出たところの案内所で、ホテル名を言うとアナウンスをしてくれて、迎えに来ているホテルの人と接触できるとのことであったので、早速呼び出しをするが、待てど誰も来ない。30分以上は待っただろうか?仕方なく、タクシーで行く(後で考えてみると、団体の場合は必ずマイクロバスで迎えが来ているから、呼び出せばOKなのだが、個人の場合は迎えが無いのだ。マヤトラベルでは団体ばかりだから、そのように小生に伝えたのだろう。)。ホテルは空港に一番近いホテルであった。ただ、タクシーがメーターを倒さずに走られ、結構高くついたようだ。受付を済ませ、部屋に荷物を置いて、ロビーに下り、ホテル専属のような感じのタクシーで市内歓楽街へと頼む。しかし高い。交渉したが、結局駄目であった。道路は混雑で、なかなか進まない。割り込みも多く、今にもぶつかりそうだ。安くするために一番近い地下鉄の駅までを頼む。オープンしたばかりの地下鉄で中心部へ向かう。自販機で切符を買う方法が判らず、まごまごしていると、駅員が声をかけて、改札口のところで切符を売ってくれた。地下鉄はすいていた。○○駅で下車し、歩き出す。結構遠く、20分くらい掛かったのだろうか?目的のソープランド「バンコク・コージー」へ到着する。市内中心部は昔のイメージ(オイルショックの頃に一度行った。)がなく、近代的な町並みだが、結構暗いところもある。「バンコク・コージー」は広い駐車場を有し、行った時は丁度駐在員らしき40歳くらいの日本人と一緒の入場となった。受付で入場料金を払い、女の子を選ぶための部屋へと案内される。そこは俗称「金魚鉢」と呼ばれるところで、広さはかなり広く、靴箱のような形の部屋で80畳くらいはあろうか?半分くらいのところに前面総て透明アクリルかガラスに覆われた、その向こうに、階段状で5段くらいに長椅子が並べられ、煌々と照明の当てられたところに女の子たちが座っている。ミニスカートを履き、胸に番号札を付けている。段は左右に3列に分かれ、左列が一番安い女性たちで、一番右列が高い料金とのこと。確かに、左列は擦れた感じの女性が多いし、ガラスの前に立って品定めをしていると、盛んに手を振りアピールしてくる。小生のこういう場合の女性選びの方法は、前を通って、媚を売る態度の女性は敬遠して、下を向いていたり、隣の女性とおしゃべりをして恥ずかしそうな感じの女の人を選んでいる。このときも右列最上段に座っていた若い女性を指名する。こちらを見ずに、下を向いていたからだ。 ガラスの右方前に座って、ずっと金魚鉢を見ている日本人の老人がいた。意味不明。客はその老人を含めて3人のみ。女性は100人くらいか?時間は午後5時ごろか? そばにいる、係員らしき人に番号を告げると、部屋の方へと案内される。中は結構広く、明るい。もっと陰湿な感じの方が、とは思う。指名した女の子が部屋へ来ると、一緒に女性が入ってきて、飲み物は?という。どうせぼられると思い、小生は日本茶のペットボトルを見せて、これが一番という感じを演技して見せる。ところが、相方の女の子がオレンジジュースを飲みたいというではないか。しょうがないが、注文する。50バーツ。 ここのソープランドではどういう展開かな?と思っていると、まずは風呂の湯栓を開いて、お湯を溜めだす。溜まるまでは通じない言葉同士で、会話をするしかない。母はカンボジア人で、父がタイ人のハーフで、19歳ということは判った。肉感的な子で、この商売も始めて間のない感じだ。服を脱ぎ、風呂へ入るが、特にサーヴィス良く洗ってくれるわけではなく、物足りないといえば物足りない。やっとベッドへ。接吻は嫌がる。胸を触り、舐めると、直ちに彼女は陰茎を握って、手でしごいてくる。彼女の陰部へ指を入れたりすると嫌がり、その意味では面白くない。そのうちに快感が高まり、入れようとすると、コンドームを着けてくれる。入れても、特に感じている風情はなく、一方的な終了であった。その後、ベッドトークをするも、通じないので、何となく辛い。愛想もさほどよくないし、サーヴィスもイマイチだし、ただ、若い女性という特権を感じた。まあ、いつまでもベッドで通じない会話をしても仕方がないので、帰ると言うと、もう一度しないのかというではないか。タオルを腰から取ると、早速陰茎をしごいてくる。後から判明したことだが、タイの女性はフェラティオをしないのだとか。そのときはサーヴィスが悪いと思ったのみで、もっとベテランの女性を指名すればよかったかなと反省をしたのだが。二回目は短時間だから無理かなと思っていると、起立したではないか。早速挿入する。二回目はさすがに長い時間が掛かり、彼女も息を荒げて、感じているようであった。帰りに写真を撮りたいというと、OKと言ったものの、着替えて、真っ赤なドレス姿ではないか。こちらは裸とは言わないが、半裸の悩ましい写真を撮りたかったのだが。 館を出ると、制服制帽の男達が「タクシー?」、と聞いてくる。「イエース」と答えると、大通りまで出て、呼んでくれる。乗り込もうとすると、「チップ、チップ」と言うではないか。仕方なく、25バーツ払う。そこから、オカマショウをやっている劇場○○へ行く。すごく近くて、歩いても充分の距離だった。行った時、ちょうどロングドレスに着飾ったオカマの人たちが10人ぐらい出口に集まって、盛んに写真に撮られていた。 町をうろつくも適当な店がない。歩道で営業している屋台の店の焼きそばがおいしそうで、注文する。大丈夫かな?味はどうかな?と不安であったが、結構美味しく食べられた。 「シナデラル」を入手するために薬局を探す。インド製(ジェネリック医薬品)のこの薬が、バンコク経由で自宅へ送付されてきた(個人輸入)ので、バンコク市内でも売られているのかと探したのだ。で、薬局はあったが、売っていないとのこと。たまたまこの薬局で、半錠にカットするカッターを売っていたので入手する。日本の半額くらい。この手の薬は割線が入っていないことと、小生は1錠では量が多いので、半錠にして服用いるために購入。余談だが、「バイアグラ」は心臓のあおりが大きくて、しかも高価。「シナデラル」の方が、副作用が少なく、長時間効果が持続し、インド製であれば、安価に購入できるので使用しているが、使用する機会がない(大人のパーティー等での使用のみ)ので、たまに購入すれば充分量だ。この手の薬では「レドビラ」が効果が高く、使い易いとのことだが、ジェネリック医薬品が輸入薬品として市場に出回っていないので、高すぎて購入していない。
2005年10月13日(金) 朝10時に国際空港へ。のんびり待っていると、ホテルの人が空港へのマイクロバスが出るといって、急がす。サーフボードを何枚か持った外人や、同じネパールまで行くという大きなリュックを持ったトレッカーたち。丁度8時に空港到着で、空港税500バーツを払って、待合室まで。ほぼ定時に出発する。席は窓側と良いのだが、あまり風景は見えない。乗客は里帰りのネパール人が多い。到着後はヴィザ申請と、通関で1時間半くらい掛かったのか?もう皆、イライラの連続で、殺気立ってきていた。まあ、後進国は遅いのは当然なのだが、係官のしぐさを見ていれば真剣にさばこうという意欲が感じられないので、余計腹が立ってくるのだ。いかにも公務員然とした態度で、いらだって来る。空港の外に出て、迎えのPemaさんと落ち合う。若い人だ。21,2歳位か? カトマンズ、何と貧しく後進国か。カンボジアとどちらが貧しいだろうか?服も汚く、洗濯してもその黒っぽさが落ちない様だ。 埃と排気ガスで本当に喉が痛めつけられる。古い車が多く、かろうじて走っているという感じだ。約20分くらいでホテル「 」へ到着する。 買い物をする。デイバッグと、雨具(下)、裏地にフリースの付いた、着脱可能なゴアテックス仕上げのコート。この3点全てネパール製品で、3400ルピー。ネパール製は中国製とそんなに遜色はないが、今ひとつ肌理の細かさがない。ただ、ぱっと見はかっこいい仕上げにはなっている。帰りにレストランでチャー(茶)を飲み、35ルピー。この後、ホテルの中庭で現地旅行社の歓迎 会として、夕食を馳走になる。初めてのネパール料理だし、中庭で薄暗く、味などよく判らなかった。話も、旅行社の人は英語が堪能でということだが、日本語はダメで、食べていても話が続かない。翌日のルクラ行きの飛行機が予定より早くなったとのことで、早めに就寝。
2005年10月14日(土) AM4:40起床。朝早い方が気象状況が安定し、飛行機出発が確実ということで、予定より早まり、6:30出発の便に。そのために早く起床し、荷造りをする。自分用はデイバッグで、必要最小限の持ち物として軽量化し、ガイドのペマさんに持ってもらう荷物は普通のキスリング型リュック(子供が山の林間学校に用意したもの)で、宿泊地についてから必要とする持ち物を出したり、詰め代えたりする。ホテルを5時15分に出発し、トリブバン空港国内線に20分くらいで到着。朝早いカトマンズ市内は、早朝から道路を清掃する人々と、ジョギング(やはり少数だ。)や、お寺参りする人々が目立つ。清掃と言っても、竹箒での人力だ。空港内は何とも殺風景で、売店も開いていない。ホテルの朝食の変わりにサンドウィッチを作ってもらい、ホテルから持ってきたが、バターにハムが挟んであるだけの内容で、とてもまずい。半分をペマさんへ差し上げる。飲み物は前日ホテル前の駄菓子屋で買った、ペットボトルのミネラルウォーター水(1?1本20ルピー)のみ。魔法瓶にはポカリスエットと同じ成分のイオンブランド品と、同じイオンブランドのアミノ酸を溶かした水を入れており、登山用として用意。空港はトレッキングをする外国人で結構混雑している。団体がほとんどで、荷物も大きく多量だ。やっと搭乗手続きが始まり、ものすごい排気ガスのバスで、駐機場まで行く。同じようなプロペラ飛行機が5機ほどで、なにやらパイロットたちが機内で計器チェックをしている。しばらく待つうちに荷物が到着し、機内への搬入が始まる。そして搭乗する。約25名の搭乗者。一様キャビンアテンダント一人が乗り込む。やや肥満傾向のある30代後半の女性だ。機内に乗り込むとまず操縦室と客席の間の扉が開放されており、操縦士の行動が丸見えでテロ対策は??と驚く。キャビンアテンダントが飴と綿花をトレーに入れて持ってくる。この綿花は耳栓にするものだと。つまりそれほど、軽飛行機の騒音が激しいと言うことなのだろう。乗る少し前から飛行場に霧が出始め、どうなるかと思っていたら、案の定霧のため待機とのこと。このまま霧が立ち込めれば出発中止かと不安になる。20分ほど待つ。そのうち少し晴れて来た感じになり、(6時30分発が)52分に出発した。確かにエンジン音が騒々しいが、耐えられないことはない。特に恐怖もなく離陸し、カトマンズ市内を旋回してルクラへと向かう。山の稜線を乗り越えながら、だんだんと山並に入って行く。土地の少ないためか、結構山肌に畑が耕作してあり、千枚田のようだ。厳しい農作業を想う。深い山へ入って行くにつれ、畑作からヤクなどの動物飼育に代わり、稜線から、螺旋状の獣道が下方へ細かく続いている風景へと変化する。ルクラ空港は山の斜面に作られており、着陸地点から斜めに作られており、上りとなって、短い滑走距離で降りられるようになっている。離陸時は端が断崖絶壁となっており、谷底へ落込むようになる。ルクラ空港には7時35分に到着。約43分のフライト。空港の出口には到着トレッカーの荷物を運ぶ、あるいは雇われるのを待つポーターたちで一杯だ。
奥地に住む人達(シェルパ族)が、街へ物を売りに来たり、買い物へと行き交う道であり、そして首から鈴を付けたヤク(あるいはヤクと牛の間でできたゾッキョ)が4〜8頭位で、荷物を担いで往来する道だ。だから、道にはヤクの糞が一杯落ちている。山奥に入るほど、その糞は燃料として使用するために子供たちが集め、乾燥させている。効率の良い燃料ではないらしいが、乏しい資源を有効利用するためにも必要なのだろう。何度か釣り橋を渡り、登り、そして下り、また登る。ポーターの人達もよく見る。登山者より先回りして、昼食・夕食場所へ行き、そこで食事を作って用意をするために、鍋からテーブル、椅子まで運んでいる。その椅子を見たとき、このヒマラヤまで来て、なんで椅子が必要なのか?それを運ぶためにどれだけの労力を必要とするのかと。実際にテントで机を揃え、椅子を並べて食べている光景も見たが、小生は理解できなかった。床に座って食べればそれでよいのではと。また、シェルパの人達は背負子を背負い、重い荷物は額にタオルを当てて背負っていく。足は速く、確実だ。T字形をした丈60cm位の杖でもあり、立って休むときにお尻に当てて座るための棒を持って歩いている。 シェルパ族の人達は敬虔な仏教徒(チベット仏教)だが、カトマンズは、ヒンドゥー教徒が多い(インド系のネパール人が多い。)。途中で軍隊の検問もあり、ペマさんは身分証を提示する。小生は何も無し。ペマさんに聞いたところ、軍人になるのは勉強をしなかった人とか、仕事のない人で、なり手は少ないとのこと。月給は3000ルピーくらいとのこと。 青色の、水量のある濁流の河を渡河し、河岸を歩き、これがエベレストのふもとからの雪解け水かと思うと感無量となる。登り降りしながらもやはり少しずつ登っていく。「ナマステ」あるいは「ハロー」と声を掛け合って登山者達とすれ違う。欧州からの外人が多い。アメリカ人はいないのだ。その理由は、ここネパールでは毛沢東主義の反政府活動をしているグループがいて、実際に外国人人質を取って身代金を要求していることから、アメリカ政府が渡航を禁止しているためだ。中国人も全くいない。毛沢東主義者はポカラからアンナプルナへ入った方面での活動がほとんどで、エベレスト方面にはいないようだ。途中いたるところにゲストハウスロッジがあり、登山用具や飲み物・菓子などを売っている店がある。小奇麗な店というより、薄汚れた汚い店の方が多い。 あるいは物売りの集団を追い越す。天秤棒に食器器具等生活用品を山のように括り付けて5,6人で移動している。それぞれ各人取り扱っているものが違うのだ。薬缶、鍋、包丁、プラスティック製の商品(塵取り、バケツ、洗面器、桶等々)と。もっともアルミ製の薬缶などは凹んで、傷だらけだ。 モンジョのマンカイラス・ロッジに14時40分に到着し宿泊する。もっと上をと言ったが、この上には良いロッジがないから、駄目だとペマさんが言う。この日はエベレストベースキャンプから下ってきたロシア人団体が20人ほどいた。ロッジは玄関入って直ぐが、リヴィングになっており、真ん中にストーブがあり、回りの窓側に作り付けの椅子があり、机がある。椅子にはチベット絨毯が敷いてある。ロシア人団体はガイド無しのポーターを雇っての行軍(欧州の人達は費用を安価に上げるために、ガイドを雇わないことが多いとのこと)ですが、宿泊所ではビールは飲むは、ポテトチップスは買うはでロッジにお金は落としていた。日本人はケチで、ロッジにほとんどお金を落とさないと言うことで、ひとり(一人部屋)のみの宿泊は断られることもあるとのこと。夕食はMIX CURRY190ルピー。水1?が120ルピー(高い!!)。朝食がトーストと目玉焼き(?ルピー)。小生もこれだけの金しか使わなかった。この水が、ルクラ製造品だった。えっ??ルクラの町で作れるの?うっそー。日本では清涼飲料水製造業はかなりの設備が必要で、とてもルクラの町でできる代物ではないと思うが、実際どのように作っているのかがとても不安になる。ロシア人団体のポーターの一人(インド系のネパール人。小生のガイドペマさんはシェルパ族)が、ビールをのんで酔っぱらってペマさんと話をしながら、小生にいろいろと振ってくるので、困ってしまう。例えば、彼(ペマさん)が日本へ来て仕事をする場合に、日本人の身元引受人がいないと仕事ができないので、その保証人になれとか言って来るのです。実際ペマさんの兄が日本で2年ほどコックの仕事をして、その稼いだお金で、カトマンズ市内にマンションを買って生活しているとか。その一部屋に彼は居候しているとのこと。ペマさんの家族は妻と子供二人がいて、故郷に住んでおり、単身赴任とのこと。今度は12月の中旬に帰るとのこと。それも、カトマンズから飛行機でルクラよりもっと東に行き、そこから2日間歩いて自宅に着くとのこと。バスで行けば交通費は安いのだが、歩く距離が5日間とのこと。それも荷物が一杯(同じ村の人達に頼まれた郵便等も互いに帰る時に依頼し合うとのこと。)ということで飛行機で行くのだが、運賃が高いので、なかなか帰郷できず、1年に1回位とのこと。多分彼はカトマンズに家を買って、一緒に住むことを考えているのだと思う(彼からの情報では、2008年4月現在カトマンズで家族一緒に住んでいるとのこと。)。例えそうであっても、保証人にはなれないし、返答に困ってしまう。 このモンジョのロッジには温水シャワー(150ルピー)があるのだが、1日目だし、そのつもりもないことから、断念。宿泊者のメンバーは、50歳位のフランス人夫婦と男2人と女1人の欧州人(35〜40歳位で、国籍は不明。後でバスク人と判明。)グループがいた。夕食は野菜カレーだが、チャーハンぽい感じ。夕食後は小生がかりんとうを提供し、ペマさんやポーターに差し上げる。とても好評だ。この後もキャラメルや飴などを道々であげるが、全ておいしいと言ってくれた。
ここモンジョのロッジ裏は深い谷で、そこから急峻な山並みがずっと続いている。 14日の13時20分にロッジへ到着し、一眠りして起きたところ、何か体調が変だという気がした。高山病??だとは思わなかったが、用心のためにダイヤモックス半錠を服用すると共に、水もなるべく飲むようにする。これが、翌朝まだ暗いうちに眼が覚めて、寝返りをしていると、頭痛がするではないか!それこそ偏頭痛のような重さだ。ああ、ついに高山病か。昨日モンジョまで一気に登ったのがいけなかったのか?やはり、パクディンで1泊した方が良かったのか?でも、朝起きるときには気になるほどでもない重さが残る程度(鈍重)であった。この先本当に大丈夫なのか?登っていけるのか? 10月15日(日) この日土曜日はナムチェバザールで、週に1度のバザールが立つ日(午前中のみ)だ。偶然とはいえ、幸いだった。せっかくのチャンスとばかり、荷物をロッジに預けて、直ぐ見学に出かける。途中の道端でもチベットから来た商人が、中国製の靴や服を売っている。ユニクロで販売している中国製とはまったく異なる安っぽい品質の中国製品だ。近づくと、商人(男性がほとんど)が、ネックレス(いろいろな色の石を紐に通したもので、男性用。)を見せて、「チベット……?!」と言って売りつけようとしてくるが、自身身に着けるとおかしいデザインなので断る。とてもではないが、日本では付けて歩けない、アクセサリーだ。女性が付けると似合うデザインだ。 市場に行くと、まず目に付いたのが、肉の売り場。鉈(なた)の音が響いてくるので、何事かと思って入ってみればちゃんとした建物の中で、肉を売ってはいるが、冷蔵庫があるわけではなく、切って売っているのみ。昨日見た背負子の肉がここで売られているのだ。決して衛生的でない。食中毒は大丈夫か? ここナムチェバザールは半円錐状に家々が連なり、上方の高いところでは何軒かロッジらしきものを立てている真っ最中だ。宿泊したロッジは「ムーンライトロッジ」という名前で、確かに夜になれば月光が美しく見える。それだけナムチェでは高いところに位置している。
No.2 へ続く |