002  忠 臣 蔵 考
                              投稿者 マンダム


 最近あまりTVでやらなくなりましたが、長年にわたって大河ドラマの有力な演目だった忠臣蔵についての解析をしてみました。

徳川幕府の世において、浅野の殿様が京都御所の役人の接待役を申し付けられたので、仕切り方を吉良の殿様に教えを請うところから始まり、その際に馬鹿にされたと腹を立てて、刃物で切りつけて怪我を負わせたことが事件の始まりで、幕府の裁定で浅野氏切腹と浅野家の取り潰しへと進み、家来の大石蔵之介を始めとする48人が敵討ちとして、吉良上野介を討ち取って自分達は切腹の罪に服して果てるという物語です。

世間では忠義の美談として、又義理人情の世界にも通ずる巷談ばなしとして高い人気を博してきた物語ですが、少し冷静に分析してみると、全くおかしな事実が見えてくるはずなのに、そちらへは目を向けようとしない日本の大衆芸能の世界が見えてきます。このことは現代のTV、新聞などの報道のあり方とも、似ているので取り上げてみました。

まず、浅野の若殿(馬鹿殿?)が吉良氏に教えを請いに行く場面では、普通年寄りが若者に物を教えることを嫌がることはあまりないはずです。当然それなりの手土産を携えて訪れることも常識でしょうし、気分良くコーチしてくれるものですが、この馬鹿殿はお上から命を受けたことを笠に着て、高飛車にものを言ったのかもしれませんし、教えを請う立場としてのマナーに欠けていたのでしょう、または常識的な手土産も持たずに訪ねたのかもしれないし、いずれにせよ、吉良氏を不快にさせたのが発端と思われます。馬鹿にされたと腹を立て、腹いせに禁忌の刃物で切りつけたとなるともうこれは気違い沙汰としか言えませんし弁護の余地無しです。幕府の裁定で切腹、お家断絶となったのもすべて浅野の殿様の浅墓さから起きたことです。この幕府の裁定について、その不公平さに抗議する意味があるとかないとかは忠臣蔵人気の言い訳になっているようです(^^♪。

残された家臣の代表大石某がこっそりと人数を募って以後長期間吉良氏を付け狙い、48人もの多数で逃げ惑う老人一人を真夜中に襲って切り殺した話がなぜに斯くも忠義の侍の人情話として世にはびこるのかと、不思議です。仇討ちの代表的な話にもなっていますが、仇討ちとは不当な暴力沙汰で殺された者の血筋の者が、犯人を殺害することを正当化する習慣であったはずです。切られて怪我をした被害者が仇討ちの目標になるはずがありません。この事件を現代に置き換えれば、犯罪を犯した親分が警察に捕まって死刑になった上、解散させられた暴力団の組員たちが、切られて怪我をしながら生き残った被害者を逆恨みして、大勢でお礼参りにいって被害者を切り殺したということと少しの違いもありません。武士なら代表一人が堂々と真昼間に名乗りを上げて正門から乗り込んでこそです。真夜中に徒党を組んで他人の屋敷を襲い、一人の老人を寄ってたかって惨殺したことの何処に武士らしさ、または正義があるのか?いや、まして仇討に当たる訳もない。
サムライ魂なるものがもてはやされるが、この事件のどこに武士の魂が見えるのか?  江戸時代300年にわたり、戦争時の戦闘のプロという仕事も無く、いたずらに生きた武士階級の堕落があり、正義のかけらもない暴力事件でした。

                 


 本来この風刺劇は幕府に対する揶揄ではなく、浅はかな浅野の殿様が沢山の家臣を巻き添えにして、身を滅ぼした事件に対する訓戒として受け取ればまっとうな物語であり、社長の気ままな振る舞いで会社を倒産させ、沢山の従業員をも巻き込んで苦労を舐めさせる、という現代にも通ずる経営訓話にもなりますが、それでは何の面白みもないので 逆の方から取り上げたと言うところでしょう。その為に内容の正当性を欠いているところが沢山あり、すべての人に見えるているはずの真実を見ようとせずに、不合理な筋立ての物語があたかも正義の忠臣劇としてしか見られていないところに不思議があります。このことは一般の報道などにも良く見られる人気取りの手段であり、あたかも真実であるように、面白おかしく推察で報道されていることの多い中で、真実が何処にあるかは一人一人が自分で見つけなくてはなりません。マスコミがこう言っていたというのを自分の意見のように言い、自分でものを考えることをしなくなったら怖いものがあります。

追記1
イラク問題でも戦争反対といっておればいい、これだけではおかしいと思います。いろんな立場から、それぞれの見方があり、沢山の意見があって当たりまえです。戦争は良くないこと、それだけしかありません。これでは国民は選択が出来ません。アメリカに付くべきか、イスラムの味方をするのか、中立なのか、新聞ごとに違った考えに立って報道をすることもあっていいはずです。何処も同じように、戦争は良くない、イラクの国民がかわいそうだ、それしか見えませんでしたが、これはまるでアメリカに付いた日本が間違ってるかに見えます。いま、アメリカが戦争に勝ってしまったので、全く嘘のようにイラク問題が忘れ去られてしまっていますが、弱いもの、滅び去ってゆくものに対する感傷的な同情論は物語の世界なら許されても、国際問題や政治問題での報道のあり方としてはいかがなものかと思います。フセインと忠臣蔵とは全く関係ありませんが、感傷的ロマンスは物語の世界だけのはずです。淘汰されて滅ぼされる側に立ちたい人はいませんし、有利な方向へ向かって生きることは当たり前のことです。勝ち残ったもののみが常に正義であり、滅びたものが悪なのです。その意味であたかも悪が正義であるかのごとき報道には国民を間違った方向に導きかねない危惧を感じています。
 

 馬鹿殿様の思慮不足が国を誤らせた訓話が、それでは面白くないからと面白おかしく、忠義の侍の仇討ち美談に切り替えてしまったという芸能世界の作り話にしか過ぎない忠臣蔵を国民的美談としてあたかも歴史的な実存の話になってしまっていることに鑑みて報道の誘導の怖さを感ずるものです。
  

追記

直近の報道で中国・韓国の反日活動の報道が目立っておりますが、非常に遠慮した報道のような気がします。政権批判記事には力が入っていますが、対外国に関わる報道には腰が引けています。正に正当性に欠ける反日宣伝を彼等が行っており、まるで当たっていないその理由について反論すべきです。何時から中華人民共和国が大国のつもりで物をいうようになったのか、わずか建国60年程度の発展途上国でしょ(笑)。建国2000年の日本とは歴史が違うはずです。もし彼等が建国4000年と漢民族以外の王朝も含めてものを言うのなら、元の時代に2度にもわたって大軍で我が国へ侵略軍を送ってきて、大変な犠牲を強いられた歴史をいかが補償するのか聞いてみたいものです。それはモンゴルだと言うのなら、中華人民共和国成立以来からだけの歴史に基づいて、中国のことを言えと言わねばなりません。どちらに歴史認識のごまかしがあるのか、、(笑)。

彼等が言う歴史問題の一に靖国問題があります。仏教思想から亡くなったものに罪は無いという考え方はもともと中国から仏教思想として伝わったものです。善人も悪人も成仏するという言うものです。まして国として戦犯として亡くなった人に礼を尽くしているのではなく、先の大戦で亡くなった沢山の人々が靖国神社に祭られているわけであり、そこへ戦犯として処刑された人も合祀されていることに我々はあまり違和感を覚えません。

ただ、侵略を受けて国土が荒廃した中国にとってA級戦犯に止まらず中国へ侵犯した日本の兵士全般に対する恨みがあるということを理解する必要もあります。東洋鬼とかいてドンヤンキーと読みますが日本兵のことです。政府が国の政策により死んだ沢山の兵士に弔意を捧げることが、侵略を受けた人々にとってはどう映るかについての配慮も必要です。
 

 なぜ新聞は黙っているのか、不当な理由で反日を煽っている政治体制なり、彼の国の報道機関などに反論を加えるか、戦いを挑むべきです。黙っているから舐められる、強いものには引き下がる、これは当たり前の国際常識ですから、日本も強くならなければいけません。愛国教育も必要ですが、当面反中・反韓論を展開すべきだとは思いませんか?これが圧力になります。力です。原爆を作れという声でもいい。言論の力をこういうときに出さないで、内弁慶ばっかりではいよいよ舐められることになります。

 日本でこういう言論が大きな声になれば慌てるのは相手側です。謝ってくるでしょうね(^▽^笑)。過去に日本は沢山の戦争をしてきておりますが、アメリカ以外には負けたことはありません。ロシヤを初めとしてアメリカ、英国、フランス、オランダなど全ての東アジア圏に対する白人の侵略勢力を叩き出したのは日本です。そのあとを日本が侵略を肩代わりしただけだったから、台湾以外の誰からも感謝はされていませんが、当時はそれが当たり前の力比べの時代だったはずです。

 日本が怒ったら怖いと言うことは彼等は身にしみて知っているはず。それを呼び起こさせるのはマスコミです。中国韓国の反日活動には断固とした反撃を加えたいものです、勿論言論で。

 二つめに歴史認識の誤魔化しを彼等が毎回言っています。教科書問題などもこの範ちゅうに入ります。日本国の成立に関わる歴史をもっと明にすることが大事だと思います。
過去に数万の軍勢で日本に攻め寄せた中国の軍勢を全滅させたり、ロシアがヨウロッパから大群の軍艦で攻め寄せたときも迎え撃って全滅させたりと、国を守ってきた歴史は大いに誇りとして後世に伝えてゆくべきものです。この後、世界有数の堅固な要塞として知られた旅順、シンガポールなども陥落させて侵略国家の仲間入りをして、軍国主義へと走った歴史もきちんと教育し、誇りとして残すことと、反省すべきことそれぞれを明らかにするべきです。「臭いものには蓋」の精神はよくありません。
更に、古代大和王朝の建国に関わる研究で、日本国が、また天皇家の血筋が、朝鮮半島から渡来した人々の子孫であり
(いわゆる弥生文化=大和人)、日本列島の先住民がアイヌ人であった(縄文文化=縄文人)ことが明らかになったとしても良いと思います。但し現在の朝鮮人ではありません。高句麗や百済が滅んだ時も大量の帰化人が来たとは思いますが、それ以前もいろいろな民族の国が勃興したり滅んだりを繰り返してきた土地なので、北からの圧力で逃げ込む先は南の日本だったと考えられます。
石器時代から狩猟や採集で生活していた縄文人が大陸から農耕文化や金属の道具を作る文化を持つ渡来人に一気に取り替わったというのが、弥生文化だと、思われます。
近代に起こったアメリカの開発と同じような例にたとえるとよく判ります。ヨウロッパからの移民が先住民のアメリカインディアンを圧迫して国作りをしてきたと同じようなことが2000年前に日本でも起こったということです。


 これでは不都合だとしてきたのは、韓国を属国にしてしまったり、アイヌを蛮族として圧迫してきた日本の政治の影響です。子(子孫)が親(祖先)を凌ぐことがあっても少しもおかしくありません。アメリカがイギリスを凌いでいることと少しの違いも無いのに、不都合なこととして内緒にしていることは良くありません。ここを明らかにすれば彼等の言う歴史認識の問題はなくなるはずですし、ごまかしているのが日本であることも明らかになります。彼等の国ではこの話は歴史事実として知られています。日本人だけが知らされずにいると言うことになります。いや知りたくないのかも知れませんねぇ、忠臣蔵と同じく奇麗事にして置きたいというのが日本人全体が持つ無意識の気持ちかもしれません。
私が推察して書いた論は、世間一般の常識とはかけ離れた異論のように思えますが、よく考察すれば、正にこれしかない正論なのです。誰でもが見えている事実から手繰り寄せただけの考察ですから、反論の余地がありません(笑)。
しかし世ではそうは言われていないし、異論扱いをされてしまいます。このことの不思議さが、外国人からみると理解し難い日本人ということになるのでしょうね〜。非合理的な思考の上に合理性を追求した産業があると、、、、、、(笑)。
  
マンダム